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みえ木造塾2014 第1回講義記録
日時 平成26年6月14日(土)午後1時30分〜午後4時30分
場所 松阪地区木材協同組合 木の情報館(ウッドピア松阪内)
講師 綾部 孝司氏 綾部工務店代表取締役、職人がつくる木の家ネット運営委員
テーマ 大工だからできる家」〜綾部工務店の仕事〜

講義概要

みえ木造塾2014は、蔵造りのまちで有名な埼玉県川越市で、大工工務店を率いる綾部孝司氏の講座で始まった。
綾部氏は東洋大学建築経営コース卒業後、建築企画設計会社にて、主に商業施設の企画、設計及び工事監理に携わり、退社後、数名で住宅設計事務所を設立、輸入住宅全盛期でツーバイフォーなどの設計を経た後、家業の工務店にて大工となり家業を継ぐことになった。
香りがしない工業製品ばかりでできた建築に終始違和感を覚えていた氏は、自身で手がけた2棟目から伝統的な工法で建て始め、30歳そこそこにてその後に手がける建築の方針を決めたという。
その方針とは、真壁で造る事、設計施工で造る事、木草土などの自然素材を使い、木は組み手で刻む事などである。
講座前半では、地域工務店が地域の仕事で目指すべき仕事を明確化、地域工務店や大工が将来を見据えて何を残していくかを考えながら仕事をしていくことを、スライドを使いながら熱く語ってくれた。

講座後半では、綾部氏が手がけた実例をもとに、石場建ての住宅などの具体的な苦労話などを紹介してくれた。会場から綾部氏に対して白熱した質疑が出て、会場は一時緊張感につつまれたが、構造計算、確認申請、コストの板ばさみになりなが
ら実現していった石場建ての家を例に、伝統的な考えを保ちつつ、あくまでも現実的に対処していった過程が丁寧に説明され、単なる理想論でない氏の姿勢に共感を得た塾生が少なからず居たのではないかと思う。
最後に綾部氏のかかわった「伝統的構法の設計法作成及び性能検証実験」検討委員会や「職人がつくる木の家ネット」などの活動が紹介され、第1回の講座は無事終了した。
講座のあと、恒例の焼肉懇親会、その夜は伊勢に泊まっていただき、運営委員の数名はさらに夜遅くまで議論を続けることができた。

                  (萩原 義雄)














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みえ木造塾2014 第2回 講義記録
日時 平成26年7月5日(土)午後1時30分〜午後4時30分
場所 松阪地区木材協同組合 木の情報館(ウッドピア松阪内)
講師 腰原 幹雄氏 (東京大学生産技術研究所教授 / NPO法人 teamTIMBERIZE)
テーマ 「伝統木造から高層木造へ」         〜木を使った建築〜



講義概要

前半は木造建築進化論と題し、木造建築を時間と建築の規模を比較し、時代背景や、当時の建物需要や建物の供給体制の移り変わり、また、その時、その時の法規制や法改正などの影響により、木造建築がその規制や、改正に対応するべくどのように進化してきたのかを話された。

 また、その中でも、いわゆる伝統木造建築とは、具体的にどういったものをいうのか、今の軸組工法(在来工法)も伝統木造と呼ぶのか、縄文時代の竪穴式住居も伝統建築なのか、寺社建築のことを伝統木造と呼ぶのか、氏自身も明確な定義は出来ないと言われる。 建築の構造について古い新しいを論じるのは木造くらいで、RC造や鉄骨造においては、構造計算で結論が出るが、木造には構造力学と経験学が混在しており、このことも木造に伝統木造というジャンルがある由縁であろう。
 木造建築は、社寺建築のような唯一の物を造る時代から、武家屋敷、民家、近代建築をへて、集成材などを使った大規模木造、また近年高層木造もつくられるようになってきた。

 高層木造に関しては、日本は海外に後れをとっており、「木」に対するとらえ方、価値観の違いも影響しているのではないか、たとえば、日本人が木を使った建築と聞くと、木を見せる建築と考えがちだが、海外において木を使うとは表面に木が見えていなくても、構造体など骨組みに使われていることでいいらしい。
その価値観の違いが、後れを取っている、進化を妨げている理由の一つ。

 最近は、在来工法のような軸組工法でも、大断面材が手に入りにくい為、集成材、CLT、LVL、合板などのような、新しい材料、エンジニアード・ウッドが普及してきている。しかし、その新しい材料も、その地域と気候風土によって受け入れられるかどうかという問題もある。
つまり、「その時代の生活スタイルと社会システムに適応させる」ことが重要である。

 木造は、設計や構造計算においても、面倒で手がかかると思われ、敬遠されがちであるが、木造住宅のような4号建物が普及し、なかなか大規模な木造建築には日の目を見ないが、これからの森林の維持、循環型の社会を考えた場合、木造住宅から木造建築へ、都市部へ木造を考えていかなくてはならないでしょう。


   後半は、映像を交えながら、地震と木造建築について話され、命を守ってこそ住まいであり潰れてしまってはダメ、その時代に最適な材料を選択し、部分的に壊れても再生が容易であり、安価な物が求められる。その時代の社会システムと経済システムに大きく左右されると話された。

                   文責 みえ木造塾企画運営委員   荻田和宏











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みえ木造塾2014 第5回 講義記録
日時  H26年10月11日(土) 午後12時〜午後4時30分
場所  三重県林業研究所
講師  山辺豊彦氏(山辺耕造設計事務所 所長)
テーマ 実践活動あなたの壁壊します。第2弾」 〜好評につき続編決定!オリジナル耐力壁実大実験〜

講義概略

すでに、みえ木造塾の“看板講義”になった「山辺さんの木構造」講義。
昨年に引き続き塾生からオリジナル耐力壁を募って実大実験を行いました。
募集の結果、5案の応募をいただき山辺さんに厳選してもらった2案について実験することになりました。
講義で構造設計のポイントを学び、実大実験の意義、そして応募のあったオリジナル耐力壁の特長・選定経緯について説明を聞いた後で、実大実験を行い、実験現場で先生のの解説を聞いて理解を深める、という流れで行われました。
 前半の講義では、構造設計に関する法改正は、大きな災害の後に毎度行われ、そのたびに耐力壁に関する項目が中心になっていることが印象に残りました。
また、講義前にご挨拶いただいた林業研究所の今後の活動に触れ、床の剛性実験にも大いに期待されていました。
 今回の試験体の選考は名前を伏して行われましたが、くしくも2案とも50歳以上の案でしたので、「今後は若い塾生のフレッシュなアイディアも採用したいね」と笑顔で話されてました。


実大実験
今回の試験体は、「風通しと意匠性」「開口のある耐力壁」など、耐力壁に機能性を求めた2案が選ばれました
試験体1「あやめ貫」
 20数本の厚貫を千鳥に配した貫のめり込みに期待した耐力壁。

変形が進むと多くの接点からメキメキと音が響き、最大変形の1/15の際は変形音の合唱状態でした。
柱材に多くの貫穴ができるため、その強度を心配する意見もありましたが、層間変形角1/120時の壁倍率の値は2.0倍となりました。
その後も最終変形量の1/15まで応力曲線は増加し続け、貫の粘り強さを再確認しました。
 これまでの大工塾やみえ木造塾の実験で、1寸の通し貫は楔の仕様により、接点あたり0.04〜0.05倍の壁倍率が出ています。(2012実験参照)
今回の「あやめ貫」は、八分貫で56接点。
0.045倍(平均)×56接点×8/10寸≒2.01倍の試算に対し、今回の実験結果は壁倍率2.0倍となり、その相関性を示唆しています。

試験体2 杉巾ハギ板に開口壁
 厚板(ア30)を中開口周りに配した面材と軸材のめり込みに期待した耐力壁
壁の変形が進むが大きな変形音はありません。
パネル部分の変形は確認できず、それを取り囲む通し貫や間草や窓台との変形のヅレが見られました。
層間変形角1/120時の壁倍率の値は1.4倍となりました。
その後も最終変形量の1/15まで応力曲線は増加し続け、こちらも粘り強さ見せました。
 一昨年に同じ材料の「杉巾ハギ板に通し貫」の実験を行っており、その際は全面パネルの状態で1.78倍の壁倍率を得ています。(2013実験参照)
今回の試験体の開口率を0.35程度とすれば、単純計算で1.78倍×(1-0.35)≒1.15倍の試算に対し、今回の実験結果は壁倍率1.4倍を得ました。
パネルの単純な積み重ねをなくし、通し貫や一本楔、丸栓などの工夫も生きていると思います。


二つの試験体とも、実験後に解体してみても大きな損傷がありませんでした。
筋交い系の実験における印象的な破断状態に比べると迫力不足との冗談もありましたが、 参加者や山辺先生から「みえ木造塾10年の成果が出たね」との言葉をいただき、大変うれしく思いました。
今回は、試験体の公募に加え、その製作も塾生にお願いしました。
またオプションの宿泊懇親会もたくさんの参加者で、大いに盛り上がりました。
10年の経験を踏まえ、今後ますます「共に学び共に実践する活動」に育っていくことを願っています。

(文責 東原達也)














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みえ木造塾2014   第6回 講義記録
日時  平成26年11月8日(土) 午後1時30分〜午後4時30分
場所  松阪地区木材協同組合 木の情報館(ウッドピア松阪内)
講師 松隈 洋氏(京都工芸繊維大学 美術工芸資料館 教授)

テーマ 『木造モダニズムに学ぶ』 〜レーモンドと吉村順三の建築〜

講義内容

□レーモンド

レーモンドは帝国ホテル建設のために、F.L.ライトに伴って1919年12月に来日し、そこで目にした日本の集落の風景に衝撃を受け、その後レーモンドが追い求めていく建築の方向性を決定づけた。
それは関東大震災直前の明治維新に始まる近代化の洗礼を受けていない『無垢の状態』のものだった。
来日前に接していたゴテゴテした装飾によって混乱状態にあったアメリカの姿への批判的な視線があったからこそ心に響いた風景だった。
特に彼が見出した日常風景は日本の庶民の生活の中にある人と建物、建物と外部、といった≪関係性を織り成す風景≫そのものだったのであり、日本建築の表面的な美しさではなかった。
『私は日本から沢山のことを学んだ。
その中で最大のものは、生活の芸術であった』と述べている
。レーモンドにとってモダニズムとは何よりも、生活をシンプルで豊かなものへと転換するための方法ととらえていたのだ。

□吉村順三
 東京本所の呉服商の家に生まれた吉村は、江戸情緒が色濃く残る下町に育った。
しかし、1923年の関東大震災で自宅は焼失し、東京の街も激変してしまった。
そんな中、震災によって失われた街並みへの思いと、F.L.ライトの帝国ホテル(1923年)に感動した経験が、吉村の建築家を志すきっかけになります。
そして、同じころ雑誌を通して住宅作家の山本拙郎(1890〜1944年)と出会い、そのロマンチックな作風にも強い影響を受けました。
また、日本各地の民家をスケッチしたり、遠く朝鮮や中国を旅行して、日常風景を形づくる何気ない建築にも魅せられました。
こうして、東京美術学校に入学した吉村は、もう一人の師となるアントニン・レーモンド(1888〜1976年)と出会い、学生の身分で事務所へ通い、卒業後は、スタッフとして学び始めるのです。
レーモンドからは、日本の伝統的な木造建築に学ぶことの大切さを教えられました。

□夏の家
レーモンドの大きな節目となったのが1933年に建てられた『夏の家』である。
当時モダニズムの最前線にいたコルビュジエの別荘を腕利きの大工を呼び寄せ、身近に入る材料を用いて模写したのである。
この経験をもとにその後のレーモンドの作品に2つの基本モチーフが明快な形で表現されていった。
一つは内部空間を覆う≪裸の構造体による架構≫の存在があげられる。
空間を構成する構造体をそのまま目に見える形であらわすことによって、自然の脅威から人を庇護し守ってくれるもの≪シェルターとしての建築≫の性格を際立たせようとした。
もう一つは開け閉めすることによって容易に内部と外部が一体になり、開放的な空間を生み出す≪自由な開口部≫の存在である。
 今までに味わったことのない、建築の存在がどこまでも後退して何もない空間が浮かび上がり、内外が融合する不思議な解放感こそ、彼が日本の建築の中に理解したモダニズムのひとつの理想的な姿だった。

□木造からのモダニズム
レーモンドは『日本の建築はあらゆる点で極度に簡素であり、すべての無駄が省かれ、手数と資材の経済化が行われている。
日本の建築は巨大さ、重苦しさ、人を圧する外観を避け、優雅でしかも軽快にできている』と述べており、日本の建築のいわば空気のようなフワッとした居心地のよさは、彼にとって装飾過多で重たく威圧的な洋式建築への違和感を解き放って余りあるものだったに違いない。そして、積極的にこうした木造からのモダニズム建築を自ら実践していった。
 戦中から戦争直後にかけて造られた日本のモダニズム建築も大半は木造だったこともあり、前川國男『岸記念体育会館』、松村正恒『日土小学校』などの作品にも、レーモンドに連なる雰囲気が感じとれることができる。

 1950年代半ばに始まる高度経済成長に伴う急速な工業化によって断ち切られてしまうが、レーモンドは非木造の時代に至っても、この木造からのモダニズムの視点を失うことはなかった。
『聖アンセルモ教会』や『群馬音楽センター』といった作品は木造の時代と変わらない優雅で軽快な空間が実現されている。
そして日本人建築家による非木造の建築の中にも木造からのモダニズムの空間性を継承しているものがある。

 1960年代に入るとレーモンドの危惧した巨大で威圧的な、あるいは建築家の個性を前面に押し立てた建築群が生み出されていく。
こうした事態の中で、自らの信じる日本の建築のもつ良さが大きく変容していくことに、レーモンドは一人警鐘を鳴らしていた。
 高度経済成長、オイルショックを経てバブルの時代を経験し、生活から遊離した巨大なスケールの建築群に都市が覆われてしまった現在の時点から見るときに、この警鐘は非常に重たい響きを持っている。だからこそ、レーモンドの建築や1950年前半の建築が今もその空間を通して人に伝える、人に親しいスケールや身体に馴染む雰囲気が木造からモダニズムの可能性のありかを改めて指示しているのではないだろうか。

(藤原宏紀)















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